「ふるさとの母のことのみぞおぼゆる。」傍線部「おぼゆる」の意味として最も適切なものは?
- 人に教えられる
- よく似ている
- 自然と思い出される
- はっきり覚えている
正解と解説
正解:C. 自然と思い出される「おぼゆ」の中心義は「(意志と関係なく)自然に思われる・思い出される」。現代語「覚える」につられて「記憶する」と訳すのが典型的な失点。ほかに「〜に似る」の意味もあるが、ここは母を思う文脈なので自発の訳が適切。自発の「ゆ」を含む語だと意識すると忘れない。
高校・高2
古典:入試頻出の古語・敬語
入試によく出る古語と敬語の使い分けを、解説つきで確かめます。
「ふるさとの母のことのみぞおぼゆる。」傍線部「おぼゆる」の意味として最も適切なものは?
「おぼゆ」の中心義は「(意志と関係なく)自然に思われる・思い出される」。現代語「覚える」につられて「記憶する」と訳すのが典型的な失点。ほかに「〜に似る」の意味もあるが、ここは母を思う文脈なので自発の訳が適切。自発の「ゆ」を含む語だと意識すると忘れない。
「春雨の降る日、端近くゐてながめ暮らしつ。」傍線部「ながめ」の意味として最も適切なものは?
古文の「ながむ」は「物思いに沈んでぼんやりする」が中心義で、現代語の「眺める」と訳すと失点しやすい。春雨・つれづれなど沈んだ文脈なら「物思い」で決まり。同音の「詠む(ながむ)=声に出して詠う」との識別も出るが、ここに歌の要素はない。「眺め」+「長雨」の掛詞としても頻出。
「いと心にくき人なれば、こちらがはづかしくおぼゆ。」傍線部「はづかし」の意味として最も適切なものは?
「はづかし」は相手が立派すぎて「こちらが恥ずかしくなるほど(相手が)立派だ」と相手を褒める語になるのが古文特有の用法。現代語と同じ「恥ずかしい」と訳すと減点される頻出語。「心にくき人(奥ゆかしく立派な人)」という文脈が決め手。人物評価の文で出たら「立派だ」と訳す癖をつけよう。
「ちひさき子の、ねぶたげなるさま、いとらうたし。」傍線部「らうたし」の意味として最も適切なものは?
「らうたし」は弱く小さいものを守ってやりたくなる気持ちを表す「かわいい」。「労(いた)はりたし」が語源で、幼児・小動物の描写で頻出。「らうがはし(騒がしい)」と語頭が似ているのがひっかけ。「うつくし」「うるはし」とのかわいい系形容詞の使い分けも問われるのでセットで整理を。
「雀の子を籠に入れて飼ふ、いとうつくし。」傍線部「うつくし」の意味として最も適切なものは?
古文の「うつくし」は「(小さいものが)かわいらしい」が中心義で、現代語の「美しい」と訳すと失点する超頻出語。整った美しさは「うるはし」が担当。雀の子・幼児など小さいものの描写が決め手。『枕草子』「うつくしきもの」の段のイメージで覚えると確実。
「風の音にぞおどろかれぬる。」傍線部「おどろか(れ)」の意味として最も適切なものは?
古文の「おどろく」は「はっと気づく・目が覚める」が中心義で、現代語の「びっくりする」と訳すと的外れになる頻出語。風の音で秋の訪れに「はっと気づいた」という文脈。「おどろかす」なら「気づかせる・起こす」。付属の「れ」が自発である点も併せて問われやすい。
「限りなくかなしと思ひし子に先立たれぬ。」傍線部「かなし」の意味として最も適切なものは?
古文の「かなし」は「愛し」と当てて「いとしい・かわいくてたまらない」の意味が最頻出。「悲し」の意味もあるが、「思ひし子(かわいがっていた子)」と生前の愛情を述べる文脈なので「いとしい」が適切。文脈で愛情か悲哀かを判別させるのが定番の出題。「愛し/悲し」の二面を持つと覚えよう。
「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて」傍線部「つれづれなる」の意味として最も適切なものは?
「つれづれなり」は「することがなく退屈だ・手持ちぶさただ」。『徒然草』冒頭で有名だが、意味を正確に問われると「連続」系の誤答を選びがち。「連れ」の字面から「連れ立って」と誤解するのが典型的なひっかけ。「所在なさ・退屈」と一語で言い換えられるようにしておこう。
「今は言ふかひなしと、涙をねんじて帰りぬ。」傍線部「ねんじ」の意味として最も適切なものは?
「念ず」には「祈る」と「我慢する・こらえる」の2義があり、「涙をねんず」なら「涙をこらえる」で確定。目的語が神仏なら「祈る」、感情なら「我慢する」と目的語で判別するのがコツ。現代語「念じる」から「祈る」だけだと思い込むと失点する。2義の判別問題として頻出。
「人の命ははかなきものなり。」傍線部「はかなき」の意味として最も適切なものは?
「はかなし」は「果(は)か(目当て・成果)+無し」で、「頼りない・むなしい・ちょっとした」の意味。無常観を語る文脈では「頼りなくむなしい」が定訳。「はかなくなる」で「死ぬ」の婉曲表現になる点も頻出で、和訳問題での訳し漏れに注意。「はかどる」の「はか」と同源と知ると覚えやすい。
「名を聞くより、やがて面影は推し量らるる心地す。」傍線部「やがて」の意味として最も適切なものは?
古文の「やがて」は「すぐに・そのまま」で、現代語の「やがて(=しばらくして)」と時間感覚が正反対になる超頻出語。名を聞いた「その瞬間に」顔が想像されるという文脈。時間差があると誤読すると内容一致問題まで連鎖的に失点する。「古文のやがて=即座」と機械的に覚えてよい。
「奥の院までは見ず、ただ本堂のみ拝みて帰りしが、なほゆかし。」傍線部「ゆかし」の意味として最も適切なものは?
「ゆかし」は「心がそちらへ行きたがる」が原義で、「見たい・聞きたい・知りたい」と文脈に応じて訳す。現代語「ゆかしい(奥ゆかしい)」や「懐かしい」と混同するのが典型ミス。見ていない奥の院への好奇心という文脈から「見たい」。『徒然草』仁和寺の法師の段の発想と同じで、訳語の選択まで問われる。
「月のいと明かきに、川霧の立ちわたれる、いとをかし。」傍線部「をかし」の意味として最も適切なものは?
「をかし」は知的・明朗に対象を愛でる「趣がある・風情がある」が中心義。現代語「おかしい」から「こっけい」「奇妙」と訳すと失点する。こっけいの意味もあるが、月・霧の美景を評する文脈なら「趣がある」一択。しみじみ系の「あはれなり」との対比で問われるのが定番。
「雪の降りたるつとめて、庭を見やれば」傍線部「つとめて」の意味として最も適切なものは?
「つとめて」は名詞で「早朝」、または「(その出来事の)翌朝」。動詞「努む」の連想で「努力して」と誤答するのが典型ひっかけ。『枕草子』「冬はつとめて」で覚えておくと即答できる。前夜の記述がある文脈なら「翌朝」と訳すとより正確で、その使い分けも問われる。
「門の外、人あまた集ひてののしる。」傍線部「ののしる」の意味として最も適切なものは?
古文の「ののしる」は「大声で騒ぐ・評判になる」が中心義で、現代語の「悪口を言う」と訳すと失点する頻出語。人が大勢集まっている場面なら「騒ぐ」で決まり。「世にののしる」なら「世間で評判になる」。現代語と意味がずれる動詞の代表格として単語帳でも最初期に載る語。
「日ごろ重かりし病、やうやうおこたりぬ。」傍線部「おこたり」の意味として最も適切なものは?
「おこたる」は「怠ける」のほかに「病気がよくなる・快方に向かう」の意味があり、病気の文脈では後者で確定。現代語の「怠る」だけで考えると文意が通らず誤答する。「病がおこたる=病が勢いをゆるめる」とイメージすると覚えやすい。病状語彙(いたつく・れいならず等)とまとめて整理したい。
「夕暮れの空に雁の鳴きわたるこそ、あはれなれ。」傍線部「あはれなれ」の意味として最も適切なものは?
「あはれなり」はしみじみとした感動を表す「趣深い」が中心義。現代語「哀れ」から「かわいそう」と決めつけるのが典型ミスで、文脈により「いとしい」「悲しい」にもなる多義語。夕暮れ・雁という景物への感動なので「しみじみと趣深い」。明るい「をかし」との対比は必ず押さえる。
「かくと聞きて、皆あさましがりけり。」傍線部「あさましがり」の意味として最も適切なものは?
「あさまし」は善悪を問わず「(意外なことに)驚きあきれる」が中心義。現代語の「あさましい(=卑しい)」と訳すのが最頻出の失点パターン。動詞「あさむ(驚く)」由来と知ると本義を忘れない。よい意味の驚きにも使う点が現代語との決定的な違いで、文脈判断問題の定番。
「かかる主に仕ふる者は、世にありがたきものなり。」傍線部「ありがたき」の意味として最も適切なものは?
「ありがたし」は「有り+難し」で「存在するのが難しい=めったにない・珍しい」が中心義。現代語の「感謝」の意味で訳すと失点する超頻出語。めったにないほど「立派だ」の意味に発展することもある。『枕草子』「ありがたきもの」=「めったにないもの」で覚えるのが定石。
「ゆゆしき大事の出で来て、都は騒ぎたり。」傍線部「ゆゆしき」の意味として最も適切なものは?
「ゆゆし」は神聖・不吉なものに触れる「忌々し」が原義で、「不吉だ」「はなはだしい」「(程度が)すばらしい」と両極端に振れる多義語。「大事」を修飾するここでは程度の甚だしさを表す。よい意味にも悪い意味にも使われるため、文脈での判別が入試の狙い所。「触れてはならぬほど強烈」とイメージすると整理しやすい。
「わりなく物思ふけしきにて、返事もせず。」傍線部「わりなく」の意味として最も適切なものは?
「わりなし」は「理(ことわり)無し」で「道理に合わない→どうしようもない・むやみだ」。「割」の字面から「割に合わない」と誤答するのが典型ひっかけ。物思いに沈んで返事もできないほど、という程度の甚だしさを表す文脈。「ことわりなし」と分解して覚えるのが最短ルート。
「花も散り果てて、庭のけしきさうざうし。」傍線部「さうざうし」の意味として最も適切なものは?
「さうざうし」は「あるべきものが欠けて物足りない・心寂しい」の意味。現代語「騒々しい」と同音のため「うるさい」と訳すのが最も多い失点パターンで、意味はほぼ正反対。花が散った後の欠落感という文脈が決め手。「そうぞうしい」ではなく「寂しい」と呪文のように覚えてよい。
「文の返り事の遅きは、いとこころもとなし。」傍線部「こころもとなし」の意味として最も適切なものは?
「こころもとなし」は「待ち遠しくてじれったい・気がかりだ」の意味。現代語の「心もとない(=頼りない)」に引きずられると微妙にずれた訳を選んでしまう。返事を待つ場面なら「じれったい」で決まり。「おぼつかなし」と類義でセット出題されることが多く、両方まとめて覚えると効率的。
「除目に司得ぬ人の家は、すさまじきものなり。」傍線部「すさまじき」の意味として最も適切なものは?
「すさまじ」は「期待外れで興ざめだ・殺風景だ」が中心義。現代語「すさまじい(=ものすごい)」と訳すと正反対の評価になり失点する、差がつく頻出語。任官できなかった人の家という「あてが外れた」文脈が決め手。『枕草子』「すさまじきもの」=「興ざめなもの」で丸ごと覚えるのが確実。
「身の程知らぬふるまひよと、めざましく思す。」傍線部「めざましく」の意味として最も適切なものは?
「めざまし」は「目が覚めるほど意外だ」が原義で、身分の低い者の分不相応な言動への「気に食わない・心外だ」という非難の意味が入試最頻出。現代語「目覚ましい活躍」のプラスの意味で訳すと失点する。『源氏物語』冒頭で桐壺更衣が「めざましきもの」と貶まれる場面が有名。上位者から下位者への軽蔑という視線の向きがポイント。
「幼き者どもの飢ゑたるを見るに、いといとほし。」傍線部「いとほし」の意味として最も適切なものは?
「いとほし」は「気の毒だ・かわいそうだ」が中心義で、そこから「かわいい」の意味も派生する。現代語「愛おしい」のイメージだけで「いとしい」と即答すると、飢えた子を見る場面では不適切。困窮・弱者を見る文脈なら「気の毒だ」を第一候補にするのが鉄則。「いたはし」と類義で覚えておこう。
「昔のこと、そこはかとなく思ひ出でらる。」の「らる」の文法的意味は?
「思ふ・偲ぶ・泣く」など心情・知覚動詞に付く「る・らる」は自発(自然と〜される)が原則。「思ひ出でらる」は「自然と思い出される」の意。受身は「〜に」という動作主、可能は下に打消を伴うことが多い、尊敬は主語が貴人、という判別基準をセットで覚える。四識別のうち自発の見落としが最も失点しやすい。
「帝、この由を聞こし召して、いたく嘆かせ給ふ。中将をば疾く召さる。」の「召さる」の「る」の文法的意味は?
主語が帝(貴人)で、動作「召す」も貴人の行為だから、この「る」は尊敬(お呼びになる)。「る・らる」の識別は(1)主語が貴人→尊敬 (2)心情語に接続→自発 (3)「〜に」がある→受身 (4)打消を伴う→可能、の順で検討する。完了の助動詞「り」との接続の違い(りはサ変未然・四段已然)も併せて狙われる。
「盗人に衣を奪はる。」の「る」の文法的意味は?
「盗人に」と動作主が「〜に」で明示されているので受身(奪われる)で確定。「る・らる」の四識別では、動作主を表す「に」の有無をまず確認するのが最速の手順。盗人が主語だと誤読して尊敬を選ぶミスもあるが、貴人でない者に尊敬は使わない。判別の根拠を文中に求める習慣をつけよう。
「この山にぞ、鬼住むと言ひ伝へたる。人々、夜はここをなむ避けて通りける。」の「なむ」の文法的説明として正しいものは?
体言・助詞に付き、文末が連体形「ける」で結ばれているので係助詞の「なむ」(強意)。「なむ」の識別は(1)未然形接続→終助詞(誂え)(2)連用形接続→完了ぬ+推量む (3)それ以外+文末連体形→係助詞 (4)死なむ・往なむ→ナ変未然+む、の4本立て。接続の確認を怠ると即失点する定番問題。
「今宵のうちに、雨やみなむ。はや花見に行かなむ。」の後半「行かなむ」の「なむ」の文法的説明として正しいものは?
「行か」は四段動詞の未然形なので、未然形接続の終助詞「なむ」=誂えの願望(行ってほしい)で確定。前半「やみなむ」は連用形接続だから完了「ぬ」+推量「む」(やんでしまうだろう)で、同じ文中に両者を並べて識別させるのが入試の頂点パターン。接続(未然か連用か)だけで機械的に判別できるので、活用形の判定力が全て。ここを落とすと差がつく。
「これは都の人にはあらず、田舎人なり。」の「に」の文法的説明として正しいものは?
「〜にあり」「〜にはあらず」の形の「に」は断定「なり」の連用形が原則(「都の人ではない」)。下に「あり・侍り・候ふ」やそれに係る係助詞(は・も)が続くのが目印。完了「ぬ」の連用形なら直前が連用形で下に「き・けり・たり」が来る。「に」の識別は入試文法の最重要テーマで、この「にはあらず」型を落とすと大きく差がつく。
「花は皆散りにけり。」の「に」の文法的説明として正しいものは?
直前の「散り」が連用形で、下に過去の助動詞「けり」が続く「〜にけり」の形なので、完了「ぬ」の連用形で確定(散ってしまった)。「にき・にけり・にたり」の「に」は完了、と型で覚えるのが最速。断定なら体言・連体形に接続する点が決定的な違い。和訳で「〜てしまった」を落とすと減点されるのでセットで意識しよう。
「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」の「ける」の文法的意味は?
和歌の中の「けり」は詠嘆(〜だなあ)が原則で、「都こそ春の錦だったのだなあ」と初めて気づいた感動を表す。地の文の「けり」は伝聞過去(〜たそうだ)が基本という使い分けが頻出。「気づきのけり」と呼ばれる用法で、和歌・会話文中では詠嘆をまず疑うのが鉄則。過去と答えると和歌の解釈問題まで連鎖失点する。
「羽なければ、空をも飛ぶべからず。」の「べから」の文法的意味は?
「飛ぶべからず」は「飛ぶことができない」で、打消を伴う「べし」は可能の意味になることが多い。「べし」は推量・意志・可能・当然・命令・適当の6つ(スイカトメテ)で、主語の人称と文脈から判別する。羽がない→飛べない、という理屈なので当然(〜はずだ)と迷いやすいが、打消との組み合わせは可能をまず検討するのがセオリー。
「いざ、かいもちひせむ。」の「む」の文法的意味は?
主語が話し手(一人称)の「む」は意志(〜しよう)が原則で、「いざ」という呼びかけも意志を支える。「む」は一人称→意志、二人称→勧誘・適当、三人称→推量と人称で判別するのが基本。『宇治拾遺物語』の児の話で有名な一節を模した文。勧誘と迷ったら「自分がする」のか「相手にさせる」のかで判断する。
「ここに月こそ( )。」空所に入る「出づ」の正しい活用形は?
係助詞「こそ」の結びは已然形になるのが係り結びの鉄則で、下二段動詞「出づ」の已然形は「出づれ」。「ぞ・なむ・や・か」は連体形で結ぶため、「出づる」を選ぶミスが最多。「こそだけ已然形」と例外を先に覚えるのが確実。結びの活用形を問う問題は記述でも頻出で、活用表が正確に書けるかが土台になる。
「いづれの山か天に近き。」で係助詞「か」が文末に及ぼしている働きは?
「や・か」は疑問・反語の係助詞で、結びを連体形にする。ここは「どの山が天に近いか」と尋ねる疑問で、文末「近き」はク活用形容詞の連体形。反語かどうかは文脈次第だが、選択肢の「終止形」が誤りなので判別できる。係助詞の「意味」と「結びの活用形」を必ずセットで問うのが入試の型。
「行く川の流れは絶えずして、もとの水にあらず。世に知らぬ人ぞなき。」の「知らぬ」の「ぬ」の文法的説明として正しいものは?
「知ら」は未然形なので、未然形接続の打消「ず」の連体形「ぬ」で確定(知らない人はいない)。連用形接続なら完了「ぬ」の終止形。「ぬ」の識別は接続(未然か連用か)と、下に体言・助詞が続くか文が終止するかで二重に確認する。完了に「ぬの連体形」は存在しない(連体形は「ぬる」)という活用表の知識でも切れる、差がつく定番問題。
「昔見し人は、今はここにあらず。」の「し」の文法的説明として正しいものは?
「見し人」の「し」は連用形「見」に接続し、体言「人」に続くので、過去の助動詞「き」の連体形(昔見た人)。「し」の識別は(1)体言に続く・連用形接続→過去き (2)取り除いても文意が通る→副助詞 (3)「〜をす」と動作になる→サ変、の手順で判別する。過去「き」は連体形が「し」、已然形が「しか」という特殊活用そのものも頻出なので必ず暗唱しておく。
「殿、御簾のうちに入り給ふ。」の「給ふ」(四段活用)の敬語の種類は?
四段活用の「給ふ」は尊敬の補助動詞で「〜なさる・お〜になる」。動作主体(殿)への敬意を表す。同じ「給ふ」でも下二段活用なら謙譲(〜させていただく)になり、会話文中の「思ひ給ふる」のような形で出る。四段か下二段かは活用語尾で判別するのが鉄則で、この区別は敬語問題の入り口にして頻出。
「女房、御文を中宮に奉る。」の「奉る」の敬語の種類は?
「奉る」は「差し上げる」の意の謙譲語で、動作の受け手(中宮)への敬意を表す。「与ふ」の謙譲だとまず覚える。ただし「奉る」には「お召しになる・お乗りになる」という尊敬の用法もあり、着る・乗る・食ふの文脈では尊敬になる点が上級のひっかけ。ここは手紙を「差し上げる」なので謙譲で確定。
「その日は雨いたく降り侍りき。」(地の文・読者に対する叙述)の「侍り」の敬語の種類は?
補助動詞的に使われ、聞き手・読み手に対して丁寧に述べる「侍り」は丁寧語(〜ます・〜ございます)。「侍り」には「お仕えする」という謙譲の本動詞用法もあり、「宮に侍り」のような文脈では謙譲になる。この本動詞か補助動詞かの判別が定番の出題。丁寧語は「侍り・候ふ」の2語しかないと覚えると整理が速い。
地の文「中将、御前にて笛を吹き給ふ。」の「給ふ」は、誰から誰への敬意を表すか?
敬意の出どころは、地の文なら作者、会話文なら話し手と機械的に決まる。「給ふ」は尊敬語なので、向かう先は動作主体である中将。よって「作者から中将へ」。尊敬語=主体へ、謙譲語=客体へ、丁寧語=聞き手・読者へ、という向きの原則と組み合わせて解く。出どころと向かう先を混同するのが最頻出の失点パターン。
会話文で、女房が友に「昨夜、帝に御琴の音を聞かせ申し上げき」と語った場合、「申し上げ(申す)」は誰から誰への敬意か?
会話文中の敬語の出どころは作者ではなく話し手(女房)。「申す」は謙譲語なので、敬意は動作の客体である帝に向かう。よって「女房から帝へ」。会話文で反射的に「作者から」と答えるのが最も多い失点パターンで、まず地の文か会話文かを確認する手順を徹底したい。謙譲語の向かう先=動作を受ける人、も同時に確認する。
「中納言、姫君に御文を奉り給ふ。」の「奉り給ふ」が表す敬意の説明として正しいものは?
謙譲語+尊敬語の順で重ねる「奉り給ふ」は、客体(受け手の姫君)と主体(動作主の中納言)の両方を同時に敬う二方面への敬語。謙譲が先・尊敬が後という語順も固定。「せ給ふ」のような二重敬語(最高敬語)は尊敬+尊敬で主体一人への敬意だから、両者の混同が最大のひっかけ。誰への敬意かを一語ずつ分解して答えさせる記述問題で最も差がつくテーマ。
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