ソクラテスの思想的出発点とされる、「自分が知らないということを自覚している」という姿勢を指す言葉はどれか。
- エポケー
- 無知の知(不知の自覚)
- 中庸
- 万物流転
デルポイの神託をきっかけに、ソクラテスは知者を自任する人々と問答を重ね、自分は知らないことを自覚している点で彼らにまさると考えた。近年の教科書では「不知の自覚」と表記されることもある。エポケーは判断保留を意味する懐疑主義などの用語。
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ソクラテスの無知の知からデカルト、カント、実存主義、功利主義と義務論、東洋思想、論理学の基礎まで、大学教養レベルの哲学・倫理学を4択40問で確かめます。各問に解説つき、無料・登録不要。
ソクラテスの思想的出発点とされる、「自分が知らないということを自覚している」という姿勢を指す言葉はどれか。
デルポイの神託をきっかけに、ソクラテスは知者を自任する人々と問答を重ね、自分は知らないことを自覚している点で彼らにまさると考えた。近年の教科書では「不知の自覚」と表記されることもある。エポケーは判断保留を意味する懐疑主義などの用語。
ソクラテスが対話を通じて相手に無知を自覚させ、相手自身が真の知を生み出すのを助けようとした問答の方法は、何になぞらえて呼ばれるか。
相手の答えを吟味して矛盾を明らかにし、真の知を「産み出す」手助けをする方法で、母親が助産師であったことにもちなみ産婆術(助産術)と呼ばれる。知識を一方的に注ぎ込むのではなく、相手の内から引き出す点に特徴がある。
プラトンが「感覚でとらえられる個々の事物とは別に存在する、永遠不変の真の実在」としたものはどれか。
プラトンは、現実の美しいものは移ろい滅びるが、「美そのもの」であるイデアは不変であり、理性によってとらえられる真の認識の対象だとした。質料(ヒュレー)は形相と対をなすアリストテレスの用語であり、プラトンのイデアと混同しやすい。
プラトンの「洞窟の比喩」において、縛られた囚人たちが見ている洞窟の壁の影が表しているものはどれか。
影は感覚的世界の事物にすぎず、洞窟の外に出て太陽(善のイデア)を見る過程が、魂が真の実在へ向かう教育にたとえられる。壁の影の方をイデアと取り違える誤りが多いが、イデアは洞窟の外の実物や太陽の側に対応する。
アリストテレスが倫理学で説いた、過剰と不足という両極端を避ける徳のあり方はどれか。
勇気は無謀と臆病の中間であるように、思慮(フロネーシス)によって状況に応じた適切な中間を選び、それを習慣づけることが徳とされた。アタラクシアはエピクロス派の、アパテイアはストア派の理想の境地で、ヘレニズム期の概念と混同しやすい。
アリストテレスの四原因説に含まれないものはどれか。
四原因は質料因・形相因・作用因(始動因)・目的因の4つ。家であれば木材が質料因、設計が形相因、大工の仕事が作用因、住まいとしての用途が目的因にあたる。「偶然因」という原因は四原因説には含まれない。
プラトンの魂の三分説で、理性・気概とともに魂を構成するとされる第三の部分はどれか。
プラトンは魂を理性・気概・欲望の3部分に分け、それぞれの徳を知恵・勇気・節制とし、三者が調和した状態を正義とした。『国家』では統治者・防衛者・生産者という国家の三階級との対応で論じられることでも知られる。
あらゆるものを疑った末に、「疑っている私の存在だけは疑えない」として哲学の第一原理に到達したデカルトの言葉はどれか。
方法的懐疑によって、感覚も数学も疑いうるが、疑っている自分の存在は疑えないという確実な出発点(コギト・エルゴ・スム)に到達した。「知は力なり」はベーコン、「考える葦」はパスカルの言葉で、同時代の思想家の名句と混同しやすい。
精神(思惟するもの)と物体(延長するもの)を、互いに独立した実体とみなすデカルトの立場は何と呼ばれるか。
デカルトは心と身体を別々の実体としたため、両者がどう相互作用するのかが難問として残った(心身問題)。現代では心を脳の物理的過程で説明しようとする物理主義をはじめ多くの立場が並立しており、どの立場が正しいかは決着していない。
「人の心は生まれたときには白紙(タブラ・ラサ)であり、あらゆる観念は経験から得られる」と論じたイギリス経験論の哲学者は誰か。
ロックは生得観念を否定し、感覚と内省という経験を知識の源泉とした。デカルトやライプニッツは、生得的な観念や原理を認める大陸合理論の側に位置づけられる。社会契約説の論者としてのロックと合わせて覚えておきたい。
大陸合理論とイギリス経験論の対立点の説明として、最も適切なのはどれか。
合理論(デカルト、スピノザ、ライプニッツら)は理性による演繹を、経験論(ロック、バークリー、ヒュームら)は経験からの帰納を重視した。カントが両者を批判的に総合したと位置づけるのが、思想史の標準的な説明である。
ヒュームは、原因と結果の「必然的結合」は観察できるものではなく、何によって生じる観念だと論じたか。
われわれが経験するのは出来事の恒常的連接だけで、必然的結合そのものは知覚できず、習慣による期待が因果の観念を生むとした。この懐疑がカントを「独断のまどろみ」から覚ましたと言われる。予定調和はライプニッツの概念で別物。
カントが自らの認識論の転換を「コペルニクス的転回」と呼んだ内容として、適切なのはどれか。
カントは、感性の形式(空間・時間)と悟性のカテゴリーによって現象が構成されると考え、認識の成立条件を主観の側に求めた。この発想の転換を天文学の転回にたとえたのであって、地動説そのものを唱えたわけではない点に注意。
カントの認識論において、現象の背後に想定されるが、人間には決して認識できないとされたものはどれか。
カントは人間が認識できるのは現象のみであり、物自体は思惟することはできても認識はできないとした。この区別への批判からフィヒテらのドイツ観念論が展開していく。モナドはライプニッツの実体概念であり、混同しやすいが別物である。
「神は死んだ」と宣言し、既成の価値が崩壊するニヒリズムに直面して、新たな価値の創造を説いた哲学者は誰か。
ニーチェはキリスト教道徳を弱者のルサンチマン(怨恨)に基づく奴隷道徳と批判し、力への意志、超人、永遠回帰などの思想を展開した。ハイデガーは大部のニーチェ論を書いたが、「神は死んだ」の宣言者ではないため混同に注意。
サルトルの実存主義を特徴づける「実存は本質に先立つ」の意味として、最も適切なのはどれか。
ペーパーナイフのような道具はまず用途(本質)が定められて作られるが、人間はまず存在し、その後に自分が何であるかを選び取っていく。この自由には「人間は自由の刑に処せられている」と表現される重い責任が伴うとされる。
「あれか、これか」の主体的な決断を重視し、「私にとって真理であるような真理」を求めた、実存主義の先駆とされる19世紀デンマークの思想家は誰か。
キルケゴールは客観的真理よりも主体的真理を重視し、実存の三段階(美的・倫理的・宗教的)を論じた。サルトルは20世紀フランスで実存主義を展開した思想家であり、「先駆者」を問われたらキルケゴールやニーチェを挙げるのが標準的である。
前期ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を締めくくる有名な一節はどれか。
『論考』は語りうるもの(事実の記述)の限界を画定し、倫理や人生の意味など「語りえぬもの」を示そうとした。後期には言語ゲーム論へと立場を大きく変えたことでも知られる。「万物の尺度」はプロタゴラス、「知覚されること」はバークリーの言葉。
ポパーが科学と疑似科学を区別する基準(境界設定基準)として提唱したのはどれか。
どんな観察結果とも両立してしまう理論は科学的とはいえず、反証されうる予測を出すことが科学の条件だとした。検証可能性を基準にしたのは論理実証主義で、ポパーはこれを批判した。クーンのパラダイム論など、科学観をめぐる議論はその後も続いている。
ロールズが『正義論』で、公正な社会の原理を選ぶために「自分の地位・能力・価値観を知らない」と想定した仮想状況を何と呼ぶか。
無知のヴェールをかぶった原初状態では、人々は自分が不利な立場になる可能性も考慮するため、平等な自由の原理や格差原理が選ばれるとロールズは論じた。功利主義への批判として提出されたが、ノージックら自由至上主義からの反批判もあり論争が続く。
「最大多数の最大幸福」を道徳と立法の原理とし、快楽を量的に計算することを構想した功利主義の創始者は誰か。
ベンサムは行為の善悪を、それがもたらす快楽と苦痛の量という結果から評価した。ミルも功利主義者だが、快楽の質の違いを重視した点でベンサムと区別されるため混同しやすい。カントは結果ではなく動機を重視する義務論の立場である。
「満足した豚であるより、不満足な人間である方がよい」という言葉に表れているミルの立場はどれか。
ミルは精神的な快楽を感覚的な快楽よりも質的に高いものとみなし、ベンサムの量的功利主義を修正した。両方の快楽を経験した者の選好が質の判定基準になるとした点も重要。ミルを量的功利主義と逆に覚える誤りが多いので注意したい。
行為の善悪を、結果ではなく義務に基づく動機によって判断するカントの倫理学の立場は何と呼ばれるか。
カントは「あなたの意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という定言命法を道徳法則とした。結果のよさで行為を評価する功利主義(帰結主義)と対比される、規範倫理学の代表的立場である。
トロッコ問題で「レバーを引いて5人を救い、1人が犠牲になる」選択は、どの立場から最も一貫して導かれやすいか。
犠牲を最小にする選択は功利主義的な計算から支持されやすい一方、義務論の立場からは人を手段として扱うことへの反対が導かれうる。この思考実験はどちらの立場が正しいかを決めるものではなく、道徳的直観と原理の衝突を明らかにするために使われる。
「どんな行為をすべきか」よりも「どんな人であるべきか」という行為者の性格や徳に注目する倫理学の立場はどれか。
アリストテレスの倫理学に由来し、20世紀後半にアンスコムらの問題提起を機に再評価された。功利主義・義務論と並ぶ規範倫理学の三大立場の一つとして紹介されるのが標準的である。帰結主義は結果で行為を評価する立場の総称で、功利主義を含む。
「〜である」という事実の記述だけから「〜すべきである」という規範を導くことはできない、という指摘は何と呼ばれるか。
事実と価値の区別を示す古典的な指摘で、ムーアの「自然主義的誤謬」の議論とも関連づけて紹介される。ただし、事実から規範への推論が本当に一切不可能なのかについては、現代のメタ倫理学でもなお議論が続いている。オッカムの剃刀は説明の節約原理。
義務論の立場から功利主義に向けられる代表的な批判として、最も適切なのはどれか。
1人を犠牲にして5人に臓器を移植する思考実験などが典型例として挙げられる。これに対し功利主義の側も、権利保護をルールとして組み込む規則功利主義などの応答を展開しており、両立場の優劣は決着済みの問題ではなく現在も論争が続いている。
孔子が説いた思想の中心をなす、人を愛する内面的な心のあり方と、それが形となって表れる社会規範の組み合わせはどれか。
孔子は仁(人への愛、忠恕)を根本とし、それを行動の形式として表す礼を重んじた。「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」は仁の説明として有名。兼愛と非攻は墨子の主張であり、儒家への批判として唱えられたもので混同しやすい。
人為的な道徳や制度をむしろ社会の混乱の原因とみなし、あるがままの道(タオ)に従って生きることを説いた老子の中心思想はどれか。
老子は作為を捨てて道に従う無為自然を説き、「上善は水の若し」のように、しなやかで低きにつく生き方を理想とした。克己復礼は孔子、性善説は孟子、知行合一は王陽明の言葉であり、諸子百家と後代の儒学を区別して覚えたい。
仏教の基本的な教えである「諸行無常」の意味として、最も適切なのはどれか。
諸行無常は、形成されたすべてのものが変化してやまないことを指す。固定的な自我の実体を否定する諸法無我とともに、仏教の根本的な教え(法印)に数えられる。「永遠不変の実体がある」という見方は、むしろ仏教が否定したものである。
朱熹(朱子)が大成した朱子学において、つつしみの姿勢を保ちつつ事物に宿る理をきわめるという修養法を表す言葉はどれか。
朱子学は世界を理と気によって説明する理気二元論に立ち、居敬窮理を修養の中心とした。知行合一や致良知は王陽明(陽明学)の説であり、先に理を学んでから行うとする朱子学への批判として唱えられたもの。対で整理すると混同を防げる。
「知ることと行うことは本来一体である」とする知行合一を唱え、陽明学を開いた明代の思想家は誰か。
王陽明は、心がそのまま理であるとする心即理に立ち、生まれつき備わる道徳的な知(良知)を発揮する致良知を説いた。知を先、行を後とする朱子学の立場と対比される。荀子は性悪説、韓非子は法家の思想家であり時代も学派も異なる。
倫理学を「人間の学」と規定し、人間を個人と社会の二面をあわせもつ「間柄的存在」としてとらえた日本の哲学者は誰か。
和辻は人間を、孤立した個人でも全体への埋没でもなく、人と人との間柄において成り立つ存在とした。『風土』ではモンスーン・砂漠・牧場の3類型で自然環境と文化の関係を論じた。西田幾多郎は純粋経験の哲学者であり、日本近代哲学の中で混同しやすい。
西田幾多郎が『善の研究』で哲学の出発点とした、主観と客観が分かれる以前の直接的な経験を何と呼ぶか。
音楽に没入しているときのような主客未分の経験を純粋経験と呼び、西洋哲学の知識と禅の体験を踏まえて独自の哲学を築いた。後年は「絶対無の場所」の論理へと展開する。絶対精神はヘーゲルの概念、間柄的存在は和辻哲郎の概念で、いずれも別物。
「観察された個々の事例から、一般的な法則を導く推論」を何と呼ぶか。
「このカラスも黒い、あのカラスも黒い、ゆえにすべてのカラスは黒い」が帰納の典型例。帰納は前提が真でも結論が偽になりうる拡張的な推論であり、前提が真なら結論が必ず真になる演繹とは区別される。この区別は科学的方法の理解にも欠かせない。
「すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死ぬ。」という推論の形式を何と呼ぶか。
大前提と小前提から結論を導く演繹推論の代表例で、アリストテレスが体系化した。前提の中で結論をすでに前提してしまう循環論法とは異なり、妥当な推論形式である。個別の観察から一般法則へ向かう帰納法とも方向が逆である点を確認したい。
論理学で、ある論証が「健全である」といえるための条件はどれか。
妥当性は「前提がすべて真なら結論も必ず真になる」という形式上の性質で、前提が実際に真かどうかは問わない。妥当であり、しかも前提がすべて真である論証を健全と呼ぶ。「妥当だが健全でない論証」がありうる点が試験でよく問われる。
「雨が降れば地面がぬれる。地面がぬれている。ゆえに雨が降った。」という推論に含まれる誤りはどれか。
地面はスプリンクラーや水まきでもぬれるため、後件(地面がぬれる)から前件(雨)を導くことはできない。「雨が降っていない。ゆえに地面はぬれていない」とする前件否定の誤謬と対にして覚えると、形式の誤りに気づきやすくなる。
命題「PならばQ」と論理的に常に同値(真偽が必ず一致する)なのはどれか。
対偶は元の命題と真偽が必ず一致するが、逆と裏は元の命題が真でも偽になりうる。「合格したなら勉強した」が真でも、逆の「勉強したなら合格した」が成り立つとは限らない、という具体例で確かめると誤りに気づきやすい。
「驚くべき事実を最もうまく説明できる仮説を採用する」というタイプの推論を、パースは何と呼んだか。
アブダクションは観察された事実から、それを説明する仮説へさかのぼる推論で、「最良の説明への推論」とも呼ばれ、科学的発見の論理として注目される。結論の確実性は保証されない点で演繹と異なり、事例を数え上げる枚挙的帰納とも区別される。
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